回天から

〈学級崩壊〉し担任が休職や退職に追い込まれたクラスの後任の担任に入ることと、特攻機・回天で敵軍艦に飛び込むことは何が同じで何が違うのだろう。担任や回天に勝ち目がないことは同じだ。うむ。確かに敵軍艦と「困っている子ども」(行政語)は違う。違うが例えば泣いている赤子に「泣くのやめたらご飯あげる」と指導して子育てが成立することは億が一にもありえないだろう事をおもえば、やはり「困っている子ども」に担任は勝てないと思う。大人の都合に向けた指導は成立しないだろう。

ではそもそもなぜ他国が「敵」になったのか。過去に原因を求めてもわかるまい。例えば、「日本がアジアを攻めたことはあってはならないことだった」とアメリカが日本に指導すれば、日本は「アメリカだって例えば西漸運動(西漸戦闘)でインディアンを殺しまくったじゃないか」と言い返す、さらに…というようにー責任があるとすればー責任転嫁的にいつまでもわからない(こうした応酬は子供の間でいざこざが起きたときに多く見られる)。

入ってくる方の入りへの意図の有無はともかく入ってくるときは入ってくる。それは嗅ぎたくなくても他人の匂いを嗅いでしまうのと同じようなものだ。保育所近くでは否応なしに子供の声を聞いてしまうようなものだ。入ってくれば迷惑なこともある。

ここで勝ち負けで決着をつけようとする戦闘ではなく押し返すということなのだろうか。「押し返す」ということがまだ戦闘臭が漂うというのであれば「さんざん歓待し、おのずとご自分のところへとかえって頂けるようにする」ということなのだろうか。

私(先生)には何もないよ。なんなら命も差し上げようか。はやくおうちにおかえり子どもたち。