「保守論者」について

例えば憲法を題材として…。どんなに素晴らしい憲法草案でも一旦同意したら後は権力者が好き勝手にする可能性は否定できないので改憲には賛成できない、今まで上手くやってきていることがあるのだからそれでいいじゃないかという論者を「保守論者」とすれば保守論者は滅多に腹を見せることはしないと思う。というのも今まで上手くやってきていることを具体的に権力派に示せば、逆手に取られるようにして追い込まれるだろうことを予感しているのではないかと推測しているからです。だとすれば翻って考えれば、具体的に示しているとすればそれは何らかの(例えば)作戦だと考えた方がいい。それは何かと問う方がいい(でないと保守論者の術中らしきにはまる)。

このように保守論者が何を保守しているのかはわかりにくい。

しかし何を保守するのかを巡って三タイプの保守論者がいることは想像できる気がする。①存在としては共通しているがそれしかない存在を保守する保守論者。素数の如く存在を保守する保守論者。素数の喩で続ければ②たまたま同じ素数の如く存在を保守した保守論者。③あえて同じ素数の如く存在を保守した保守論者の三タイプです。

①は、2、3、5などの素数の内、どれか一つだけの素数の如く何かを保守している者です。たとえ「せ~の」で同時に腹を明かしても自分と同じ存在を保守している保守論者はいません。②は同じく同時に腹を明かした時、例えば2ならば2をたまたま他の保守論者と同じく保守した保守論者です。この保守論者が保守しうることは自分以外の保守論者と同じ存在を保守していますがその保守論者が保守したその存在だけです。③は同時に腹を明かした時、少し後出しするようにして自分以外の保守論者の保守している存在を「自分もそうだ」という保守論者です。この場合、自分が保守しうる存在は何でもありになります。自分としては保守していることが無いということです(「保守していることが無い」ということを保守しているともいえそうです)。