「上書き保存」的恋愛、「名前を付けて保存」的恋愛について

「女性は(過去の)カレからの手紙は全部燃やす」「男性は(過去の)彼女からの手紙を後生大事に取っておく」という傾向があるときく(今の若い人は手紙を書かないかもしれないからわからないかもしれない、が)。この傾向は、女性の恋愛は「上書き保存」(だからひとりの男性を愛し続けることができる?)、男性の恋愛は「名前を付けて保存」(だから浮気症?)だという傾向と関りがありえるかもしれない。同程度の人数の恋愛経験場合、一見すると男性の方が沢山の女性を愛していそうだが、どうなのだろう。

「上書き保存」は、初めの本文と同じ本文でありつつも始めの本文は消えて全く別の本文を保存する(「保存する」とはここでは恋人にするという意味です)。「上書き保存」では、最初の本文と保存した本文は、前者は「最初の本文」も後者は「上書き保存した本文」というように自覚されている。が、「最初の本文」と「保存した本文」の〈つながり〉が「何」であるかは自覚されていない(全く無関係では「上書き保存」ではない)。もし自覚されればそこには「最初の本文という元・カレ」でも「保存した本文という今・カレ」とも違う、「何という第三者的な存在」があるといえる(自覚していなくても「〈つながり〉という第三者的な存在の卵」がありえている)。

翻って男性の「名前を付けて保存」的恋愛には「何という第三者的な存在」(あるいは「〈つながり〉という第三者的な存在の卵」)はない。名前的な個別さはとても大切にされているが、その各々の個別さは無関係に存在している。

「〈つながり〉という第三者的な卵」からは何が生まれてくるかわからない。これは元カレと今カレの〈つながり〉は、〈つながり〉があるということは一般的にいえるが、具体的に何があるのかといえないということです。その何かしらの具体さが今カレでなければならない理由だとはいえそうです。

こうして「上書き保存」的恋愛の方が「名前を付けて保存」的恋愛よりも多くの異性を愛しているといえます(「上書き保存」的恋愛は、ひとり愛すと2.5ないし3を愛しています。「名前を付けて保存」的恋愛はひとり愛すと1を愛していますから)。「上書き保存」的恋愛は「二者が関係を結ぶと第三者が排除される」(詳しくは例えば『近代性の構造』今村仁司参照)という根源的な暴力の誕生を防いでいると言い換えてもよいです。