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群論的操作(例えば「ルービックキューブ」)は視野をシェイクし・再構成する

中井久夫さんはその著『こんなとき私はどうしてきたか』で次のように述べています。「境界例の患者が入ってきたりすると、治療方針をめぐって病棟が割れることがしばしばありますね。そんなときにはスタッフに休んでもらうのも必要です。車を走らせてぱぁっと野遊びをするのも一法です。短時間で済みます。自動車の席で話をするとふしぎに争いの程度が減ります。自然な眼球振盪が役に立っているかもしれません」、と。

視覚による認識(視野)は揺るぎ難い。朝起きて町の風景を見たら町の風景がガラリと変わっていたということは通常はありえない。争いはその最奥で視覚による認識に支えられているかもしれない。だとするこの視覚による認識がゆるみ、(別、外、他など、と)混じり再構成されたら、ひょっとしたら争いが未知のステージに移行するようにしておさまるかもしれないということだろうか。

が、それは解決すべき争いが起きている時のことだ。普通的には、そうした視野の揺ぎなさを享受して昨日も今日も同じ自分として自己同一性を保ちながら生きることができている。毎日コロコロかわっていたら例えばコーヒーの味もないでしょうね。(だから建築家は古くてもよい建物を保存しようとするのだろう。逆にだから建築は愛国的なものと結びつきやすいともいえる)。

以前、勤めていた中学で喫煙する生徒への関わり方をめぐり職員会が荒れていたことがあった。生徒指導係が「喫煙している生徒がいたら必ず注意してください。見つけても指導しない先生がいるとの報告も来ています。みんな団結して喫煙している生徒がいたら注意しましょう」と宣言したからだ。法律で禁止されている年齢の生徒が喫煙することが解決すべき問題であるということは同意できる。が、その生徒指導係の態度は如何なものなのだろう。喫煙を禁止することは、大人の医療の世界でも容易ではない。喫煙・禁煙については、ちょっとしたことで大激論が起きる。最近では『風立ちぬ』の喫煙シーンは如何なものかなどと。手立てはそれぞれというところがあるのでははないか。解決したいある問題が起きてしまったが、どうしょうもできないでいるとき、おそらく、その問題の解決のために、みんなが同じことをするというのは、解決からさらに遠ざかるのかもしれない。というのも、例示したような視覚による認識をゆるめ、何かしらを介して、再構成すると争いがおさまるかもしれない等という一見すると「極めて個別的な試み」が普遍性をもつという可能性が頭から禁止されてしまうからだ。同じ著で中井先生は次のようにも述べている。「あるとき、医師の治療方針を統一するかどうかで大議論になったことがある。当時は、病院がそれぞれ生活療法とか精神分析治療とか、セールスポイントを打ち出すことが多かった。アンパイヤ役になられたのは慈恵会医科大の児童精神科医・中川四郎教授で、午前二時までつきあってくださって、「いまの皆の話を聴いていると、それぞれが自分の最善と思う方法でやるのがいちばんうまく行くと思う」と言われた。この結論は病院の活気に貢献したと思う」。

こうした組織運営の仕方がありだからRDレインの報告したかの有名な事例もありえるのだろう。「ある看護婦が、ひとりの、いくらか緊張病がかかった破瓜型分裂病患者の世話をしていた。彼らが顔を合わせてしばらくしてから、看護婦は患者に一杯のお茶を与えた。この慢性の精神病患者は、お茶を飲みながら、こういった。〈だれかがわたしに一杯のお茶をくださったなんて、これが生まれてはじめてです〉(『自己と他者』)

この患者さん、これだけでおそらく慢性の病気が治ったのでしょうね(一杯のお茶をいただくことなんてそれまでに幾度もあっただろうに「〈はじめて〉」といってるとしたらそう推測したくなります)。

すると絶対とはいわないけどー普遍性をもつことがあるからー、悪口らしきをいうひとがいるのです。(いうにしたって悪口じゃなくてもいいのにね)。その悪口は「そんなの精神医学の治療ではない」とか。「偶然だ」とまではいわなくても―一応、資格があるからかー「それは唾棄すべき民間療法だ」とか。

そう悪口いうひとにとっての精神医学はどれたけカチカチになっているのだろう。その真面目さは患者としてありがたいし、それで救われた患者もいるだろうが、それが患者を苦しめ続けることもあるだろうし、その真面目さが権力闘争という白い巨塔的世界をつくり、そこで自分が苦しむことに自ら手を貸しているということもあるのではないかな。

中井さんも同じようなことを述べています(もっとマイルドですけど)。やはり同じ著で「私は退院や入院のときは患者さんの手を握ります、男性なら。女性に対しては手を挙げる。手を振る。患者さんは覚えていますね。「あいつは握手で治しているんや」という悪口を聞いたことがありますが、それで治るんだったら、結構なことでありまして。でもそう簡単にいきません」と。

どうやら精神医学に対する忠誠度が中井先生はハンパないのです。(ほかの精神科医はどうなのでしょうね)。