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「自己肯定できない良い子」が現れる道筋と大衆迎合主義から発生する事件?

「自己肯定できない良い子」はどのような道筋で現れるのだろう。例えば校長を指導する立場にある教育委員会のメンバーが指導をしつつ違法行為もしていたとする。校長は多くの場合、指導に従う。が、教育委員会のメンバーが違法行為をしていては、指導に従った自己を100%肯定できまい。同じ理屈が見かけをかえて、教員と児童・生徒あるいは親と子の間で働くと、「自己肯定できない良い子」が現れるのかもしれない。

あるいは良いことをしているとそのした良いことによって闇に葬り去れた何かしら―これは必ずしも悪いことではない―が、詩作行為的によって明るみに出て、その出た何かに囚われ心痛めるようにして良いことをしている自己肯定ができなくなるのか(だとすれば良いことしても自己肯定できるようにすることはできる)。

ともあれそうして現れた「自己肯定できない良い子」が大人になり「タテマエよりホンネをぶっちゃけた方が認められやすい」という大衆迎合主義的傾向に流されると「PTA会長殺人事件」、「やまゆり事件」、「タリウム事件」のような「良い人が急になぜそんなことを…」という事件を起こしてしまうのだろうか。