パスカルの格言は何度も繰り返される?

夏休み小学生の時、銛を使って川で魚を採っていたら、見知らぬ少し年上らしき男子が遊びに加わってきた。東京からだという。そしてひと言。「この川で銛を使ってはいけないはずだよ」と言った。遊んでいた僕たちはそれは知っていた。しかし伝統的にみんな使っていた。怪我人もなく魚を取りすぎるということもなかった。大人も漁協も特に何も言ってなかった。だから使っていた。しかしその態度の強さにその場にいたみんなは白けながら使うことを止めた。

別日、近所の小川で網で小魚をすくって遊んでいたらその小川の傍らの田んぼだった場所に家を建てた住人のオジサンが出てきて「この小川で魚を採ることを止めろ」といった。理由はわからなかったが-たぶん家周りが汚れるとか子供がうるさいとかだろうか-、その小川は広い田園の中の小さな小川で、そこでもまた子供たちは代々、遊んでいた。変だと思ったが止めた。またか、と思った。

ここでの「見知らぬ少し年上らしき男子」や「小川の傍らの田んぼだった場所に家を建てた住人のオジサン」の類人が都会では、例えば公園での子供のボール遊びは迷惑だというような理由で行政に通報し、行政はそうしたいわば「〈枠組み〉というものがあるということを知ろうとしないで枠組みらしきに安住しようとする実質四人ほどの者たち」の意見に耳を傾け、公園でのボール遊びを禁止してきたのだろう。この手の問題は全国津々浦々とても多い気がします。

ちなみに〈枠組み〉というものがあることを知ってそれを研究し、その枠組みに安住しようとする者が僕たちですね。僕たちだって枠組みに安住しようとしているのですよ。しかしその枠組みは國體や憲法や人類ミナきょうだい法とは違う。強いて言えば、國體の〈國體〉とか憲法の〈憲法〉とか人類ミナきょうだい法の〈人類ミナきょうだい法〉という時のその〈〉(括弧)内のことです。それを総称してここでは「枠組み」と表記し「わくぐみ」と呼んでいます。

さて行政はどのような過程を通して判断しているのだろう、行政はその通報者の名前を公表しうるのだろうか。行政が無知とまさに共謀して「海抜六十メートルの断崖の手前に四角い幕それも素晴らしい夢がぎっしりとかかれた幕を張り、そちらへと住民を導いた」ということをしなければいいが(かつての長野南部の満蒙開拓団のように)。この件は大丈夫そうですね。

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