「問題の所在」なのか、「問題の設定」なのか

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原子力発電が問題を起こすと原子力発電自体に罪はないという原子力発電擁護の意見が出てくる。宗教が問題を起こすと宗教自体には罪はないという宗教用語意見が出てくる。芸術作品が問題を起こすと芸術作品自体には問題はないという芸術作品擁護の意見が出てくる。

擁護意見の通りだと私も思います。それ自体はそれ自体に過ぎません。それらを無かったことにするのは間違いです。だが「しかし…」ところもありえているとも自分は思います。問題を起こした原子力発電によって被害を受けたとか、問題を起こした宗教によって命を奪われたとか、問題を起こした芸術作品によって政治攻撃を受けたとかありますからね。他時では、それらの恩恵を享受してもいますよね。その時、それら自体は意識にすらのぼっていない。

同様のことは男女を巡っても起きますね。男女は平等だといえば平等だと私も思います。しかし現実的には非対称です。例えば添付した記事には親によるその子のお見合いの条件です。息子は有職者でなければならず娘はそう条件づけられていない。これは男女平等でないといえば男女平等でない。が、現行社会で生きようとすればわからないでもない。

現行社会で生きようとしなければ、お見合い成立の可能性はそうでない場合よりも高まるかもしれない。が、その時の社会とは現行社会の中の特殊な社会としてありえる。それもここから双方、手さぐり的につくりあげていかいないといけない。つくりあげてもその社会は現行社会と無関係でありえはしない。これは現行社会を若干でも変化させてしまっているということです。しかし例えば「現行社会を若干でも変化させることを快く思わない現行社会の住人」がいるかもしれない。だが前もってなにがいるかあるいはいないかは決してわからない。(とりあえず)つくりあげたとき、わかることはある。わかれば、それがどうしてくるかのすぐに予感できる。ただこの予感は、純粋な再生産の予感とは違う。予感はそもそも再生産するからこそ予感なのですが、ここでの予感は再生産の予感でありながら再生産しない予感ですね。なぜか。初めてだから。だからあまり口に出していうものではないです。しかしその予感ができれば、予感した「どうしてくる」にたいして手だてをうつことができます。ただしその手だては〈別〉にも接続しうるというようにしても、うたねばならないですね。この予感は必ず外れますから。この予感は再生産の予感ですが、再生産しない予感ですから。

ここでは「与えられた生を生きていたら、にっちもさっちもいかない状況に陥った。生きられなくなった。解決のためにあることをなした。そうして初めてわかることがあった。そのわかりからの予感されることもあった。そこでその予感されたことに配慮した。それもその配慮が〈別〉にも接続しうるという仕方で配慮して、再度、生きた」というようなを辿っています。

しかし前もって「にっちもさっちもいかない状況に陥らない」ことが一番ですよね。親によるその子のお見合いの事例ならば、条件の通り息子は有職者でなければならず娘はそう条件づけられていないままが一番いい。しかしどんなに常日頃から(例えば)コツコツと露払いの如くしていても「にっちもさっちもいかない状況」に嵌る時は嵌ってしまう。そればかりは仕方がない(問題は所在しているものですという態度)。他方、こうしたことが言語化されると「あえてにっちもさっちもいかない状況」に嵌るということもできます。「あえて」常日頃からコツコツと露払いの如くをしない等して。(問題は設定するものですという態度)。ここが別れ道ですね。どちらから入っても目指す先は〈別〉ですが。