「ただ私だけが生きている」から

九人いても誰もいなければ誰もいないまま過ぎていく。ただ私だけが生きている。

誰かいる時はいてしまう。こればかりは私のことながら私にはどうしょうもない。誰かいる時は、いると感じている自分も誕生している。

その時、その誰かをある観点から誰とすることで誰かと誰かがいると感じている自分の区別を誰と自分というように明確にしないまま、誰かいると感じている自分が誰かに関わるとあるいは関わらないと感じている自分が誰かに「侵害」することになる。とすると、そもそも誰かをある観点から誰とすること自体が誰かいると感じている自分の誰かへの侵害といえる。しかし誰としなければ「侵害」を行うことになる。が、誰としても侵害していることに変わりはない。この侵害を「侵害」と区別し「根源的侵害」とする。

一体、自分には誰かと感じている自分を誰と自分に区別した理由があるのだろうか。あれば半分は根源的侵害はなくなる。が、あったとしても誰からすればその理由が残り半分の根源的侵害を補強しているともいえる。しかしその理由がなくては全力の根源的侵害をなすことになる。自分としてはそれは避けたい。行き詰まった。

というのであれば、その理由が誰でも自分でもない第三者の生存にとってなくてはならない理由とするようにデザインすることで残り半分の根源的侵害をなくしたら?と私は自分へと提案した。自分はその提案を受けた。

こうして私は誰、自分、第三者から成りつつも同時にその守護でもある存在へと変成した。

あたりには6人いた。