(無題)

教育学部の入試に、面接を取り入れる大学が増えている。今春の入試で面接を課したのは、教員養成課程のある国立大学の半数に達した。精神疾患で休職したり、わいせつ行為で処分を受けたりする教員が後を絶たない中、大学側は受験生が「未来の先生」にふさわしいか見極めようとしている。(毎日新聞)

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教育学部に入れば養成代が発生するから卒後はできるだけ教職に向かわせたい。教職に就いた後で「精神疾患」や「わいせつ行為」で退職を迫ることは難しい。だったら水際でということもあるのでしょうね。

精神疾患」や「わいせつ行為」とまではいかなくても病むこともなく異性に関心を持たず「いつも輝いている先生」に児童生徒は教わりたいでしょうか。昔からいわれていますよね。例えば数学好きの先生に数学嫌いな生徒の気持ちはわかり難いと(そしてあれこれ試みられた)。そんなことが今度は先生と児童生徒レベルで起きるようなことが無ければいいのですね。義務教育はあってもいいけど義務教育ありきみたいな先生にすべての子どもは対応できないかもしれません(公的な分業はインクルーシブ教育推進の流れからすればありえないでしょうしね)。

それにしても自分が不思議な思うことは「教職現場きついよ」ということがそこらでさんざん報告されているにもかかわらず教職を目指す生徒が後を絶たないことです。志望する生徒らはじぶんだけは上手くいくとでも思っているのでしょうか。「教職それほどすばらしいか?他にも素晴らしい仕事はいろいろあるんじゃないかな」

翻ってこれだけ「教職現場きついよ」といわれているのに、確かに徐々に取り組んでいるようですがなせ教職現場の環境がいつまでも改善されないのでしょう。むしろ例えば中学の部活などは昔より過熱している部分もある。「○○部が全国大会出場」みたいな垂れ幕が校舎に掲げられるということは昔は今ほどなかった(その傍らで「△△高校何名合格」という張り紙がされた塾がありその光景は何とも言い難い。反転授業が流行っているけど、とうとう立場すらも反転したのだろうかとい皮肉りたくもなるが、止めておく)。

記し忘れたから「編集」する。「教職は素晴らしいよ。立派な未来の先生になってください」