わからない関係、関係の〈外〉へと関係を開く関係として生きている

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「ある」が現れてしまっている。なぜ現れているのか。かつての「自分」が「ある」を起点として生きていた関係が切れてしまったから。それは「いつもの生活」に生きられていないということだ。どのような関係が切れてしまったのか。わからないとしかわからない。しかし確かになにかしらの関係として生きていた。いつ切れてもおかしくない関係として生きていた。なぜ切れてしまったのか。生きていた関係の恣意性を指摘する声が入ってきた。それがその関係を切った。誰の声か。誰の声でもない。ただその声だけが入ってきた。切れてしまわない関係があるということか。ある。各部分部分、両義(両重)的におさめられてある。ただし切れてしまわない関係には切れてしまう関係も含まれている。そのため関係の恣意性を指摘する声のための余地がありえている。関係の恣意性を指摘する声は二種類あるということだ。入ってきてしまう声は、逆側に切れてしまわない関係が含まれていない切れてしまう関係の恣意性を指摘する声。もう片方の声は、逆側に切れてしまわない関係が含まれている切れてしまう関係の恣意性を指摘する声。この声は届く。これらの声が出てくるところが「いつもの生活」だ。「いつもの生活」の「いつもの生活」らしさは別々にありえている一つ一つの恣意的な関係を両方それとして生きていることにある。一つの関係はいつ切れてもおかしくない関係であり、もう一つの関係もいつ切れてもおかしくない関係なのだがその背後には両義(両重)的におさめられた部分から成立している切れてしまわない関係がありえている。

「いつもの生活」に「ある」が現れてしまう。現れてしまうと「自分」が誕生する。「ある」が現れてしまうと「いつもの生活」に生きられなくなる。「ある」が現れてしまった後、次に記す基本的過程を通じて、「ある」を起点に、「自分」が、切れてしまわない関係を含む切れてしまう関係をあらしめていく。「ある」がなんであるのかその「答え」(別の答え)が出た段階で「いつもの生活」に戻るだけはできるが、それだけではまだ生きてはいない。「ある」から「答え」(別の答え)までの関係があらしめられた後の「ある」を起点に「いつもの生活」に生きなおすという方針です。

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「ある」が現れてしまう。現れてしまうと「自分」が誕生する。その「自分」があたかも〈ある〉を自身で現わせたかのように引き受けると「何」が現れたとわかってしまう。「何」の周辺へと赴くと「何」に触れてくる「別の何」を発見してしまう。触れ感は「何の部分」であるが「何の部分」が定まるや否や一瞬にしてそれがなんであるのかその「答え」が出てしまう。出た後になにがその「答え」を出させたのかと問うと「答えを出させた観点」がすぐに明らかになる。

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「ある」を起点に、「自分」で、この関係をあらしめていきます。全部で七部から成立しています。見つかるべきものが見つかるようにしてこの関係はあらしめられていきます。部分をつなげているからといってどのような部分にするのか迷い決断することや、部分から全体が成立しているといってもパズルを組むような試行錯誤はないです。こうして一旦、関係をあらしめると、今度はその関係に「自分」が含まれるようにしてその関係以外はなくなります。

ところでこの関係否応なしにそう接続してしまうとしても必ずしもある具体的な部分へ次のその具体的な部分が接続しなくてもいいです。別もありえます。まさに、このその接続は「恣意的」なのです。しかしどうしてもそう接続してしまう。

(関係が切れてしまう前にも、このような関係として生きていた。しかしどのような関係であったかはわからないでいた。が、恣意的であることに違いはなかった。その恣意さを指摘する声が入ってきてしまい、それまでそれとして生きていたわからない関係が切れてしまった。もう一度、つなげることでとりあえずわかろうとしている)。

 

ここでそのようにその関係のつながりは恣意的だということを「自分」で知っている場合と、知らない場合にわかれます。知っていれば、その関係の七部それぞれの部分を例えば両義(両重)的にするようにして恣意的でなくすることはできます。知らなければ、あるいは知っていてもなさなければいくら関係をあらしめても、その都度、その声を聴いてしまうようにしてあらしめた関係が無効になり同じ「ある」が現れてしまいます。

 

それぞれの部分を両義(両重)的にするようにして関係の恣意的な部分を恣意的でなくするとは、ここでは先ほど示した過程と同じ働きをそれぞれの「部分」を起点それぞれになすということです。つまり「恣意的な部分」の傍らに〔恣意さを何とかしようとする自分〕が行き、その〔恣意さを何とかしようとする自分〕が「恣意的な部分」を引き受けるとそれが〔何〕だとわかる。〔何〕の周辺へと赴くと、〔何〕に触れてくる〔別の何〕を発見してしまう。触れ感は〔何の部分〕であるが〔何の部分〕が定まるや否や一瞬にしてそれがなんであるのかその〔答え〕が出る。出た後、なにがその〔答え〕を出させたのかと問うと〔答えを出させた観点〕がすぐに明らかになるというようにして、ある「部分」を「自分」があらしめた関係との関わりで両義(両重)的にするというようにです。

 

例が適切かどうか定かではないですが例えば物干し竿は人にとっては洗濯物を干す場所だとしても鳥にとっては止まり木になるというようにです。その際、物干し竿が止まり木だと鳥にもわかるような工夫を添えなければです。ここが胆です。その工夫とは〔答えを出させた観点〕のことです。

 

「恣意的な部分」を両義(両重)的におさめる際、「答え」の部分と「ある」の部分は忘れがちです。なぜでしょう。答えを出すことが当面であれ目的でしたから達成した到達感によりそれが恣意的であることを忘れがちということでしょうか。「ある」については「ある」が現れてしまった後、このような関係をあらしめなくてもよかったではないかというように恣意的なのですが、忘れがちな理由は、「ある」を起点に、そうでなくてもよかったのに、もう一度「いつもの生活」に生きようとして、ここまで前のめりになって頑張ってきたからでしょうか。だとしても「ある」についても恣意的です。恣意的ですがそれは譲れないのだから「ある」を起点にあらしめられている関係自体もまた両義(両重)的にするということです。ここまでの関係自体をそうするとは「ある」のここまでと逆側へ展開するように最初に示した過程と同じ働きの過程を行うことです。最終的な関係は二重に両義(両重)的なのです。ここまでの関係自体を両義(両重)的におさめる際、注意することは、そうしてあらしめられた関係の部分部分を両義(両重)的にはおさめないということです。恣意的(=恣意的な様なままで)いいのです(「いつもの生活」の「いつもの生活」らしさは二種類の恣意的な関係に生きていることにあるということでした)。これは未だない恣意性を指摘する声が届く「空」が開かれているということでもあります。

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Memo

二十年以上前、大学の付属の中学校で教育実習を受けた時、指導教官から授業は「学習問題の提示-学習課題の設定-生徒の取り組み(机間指導)-発表・対話-まとめー振り返りー演習」という枠組みで展開してくださいと教わった。それを聞いた時、私は授業にも「問題-仮説の設定-実験-仮説の検証-考察」といった自分が理科の授業で経験してきたようなものがあるのだなと思っていた。その後、卒業論文で私は「子供の居場所」について取り組んだ。その際、幾つかの古くて大きな家の間取りのあり方を題材に取り組もうとしていた。当時は安曇野にそのような家が多かった。その旨を先生に話すと「それなら諏訪の方がいいかもしれない。やっているひともいる」ということだった。

 

卒後もことある毎にちょくちょく気にしていたら、なんというかそのような「コスモロジー的構造」というテーマは、なかなか奥深いと知った。資料にあるように、古くは縄文時代の土器から最近の哲学、建築、宗教、数学にまでありえていた。先生が話された通りこうした考えは諏訪地方に色濃く残っているように私も思った。地形が関係している気がしていますね。そうしたものをいくつか見てきた私には「どれも変化・生成的なことを示そうとしている。それゆえに違いがありえている」という印象もしています。またその構造は、幅広くありえているにもかかわらず太古よりそれぞれに一子相伝的に継がれているようです。なぜでしょう。その構造ではメタ的な次元にたつことができないからだと私は思っています。

 

数字はわかり難いですね。例えば九鬼さんの円は43であり、古東のあるの円は-円だけならば9―であるし、リーマンさんの右図では39、中沢さんの円は円だけなら6であり、資料には載せていませんが、「心は一瞬してかわる」「心の速度は光の速度の17倍である」という仏典もあると聞きます。これは17段階でかわるということですかね。諏訪では7、19という数字をよく見かけます。この中で7、19は月の満ち欠けの数と連動しえます。同じかわるでも仏教的には17で月の満ち欠け的には19なのです。

こうした数字は、ひとまとまりにありえている部分を数えるようにして後から付せたものでしょうか、それとも数字自体がある関係を組むようにしてひとひとまりとしてありえているようなものなのでしょうか。

 

歴史的に戦や政治的闘争が九州・関西に比べ少なく地形的にも恵まれた関東より北にはこうした資料が他地域よりも残っている気がします。こうした資料を例えば井戸尻の『神像』をハイデガーの「語り」近辺の概念、メルロポンティの「両義性」「可逆性」の概念、レヴィナスの「他者」、幾何学からながめますと、基本的に7→13→19の19部分と13につく36の部分、計55部分という数が全体的な数として現れ、そこにそこまでやり抜いた人の単独性がひとつ、ふたつくるようです(もう一枚の資料参照)。図柄としては、写真中央下部の「たこ形―ひし形」連鎖形は、その左の「平行四辺形(ひし形)」のついた蕨手によってそれが実際にあらしめられ、その右に四角形(2種)、台形(2種)がきて、そこで逆蕨手によって一気に上部まで土器上部縁まで上がり、その縁で二つの線が絡み合ったようなオブジェにいたる。その穴には見方によって違うものがみえる(時間の違う二つの三日月の象徴?)。傍らには小さな円形(日の象徴?)がある。そのオブジェの下は時空間の違う二つの身体部がある。こうした品はコスモロジー的な存在なので動くということはない。それゆえに時空間を通して時空間の受け皿となっている(私が紙一枚であらわそうとしていることを立体造形的に上手にあらわしている気がしますね。そちらのほうが私としてはわかりやすいです。当時のひと、すごいなぁと思います)。

 

この数の関係を物理的数学的にかける予感はします。しかし自分にはできそうもないです。例えば方程式を理解し解くことはできるが方程式という仕組みを作り出す能力がないからのような気がします。訓練されていないというでしょうか。昔の科学者は自分で実験道具もつくっていました。今はそうした機会は失われつつあるというようにですかね(最先端では違うかもしれないです)。だからというわけでもないですが、その数の関係をかこうとすると絵的な表現になる。それを文章で表そうとしたら本一冊くらいにはなる気はします。

 

ともあれこの数を視点として例えば九鬼さんのいきの円の43との数との違いは12ですが、九鬼さんの方が足りないのですが、これはどういうことだろうなどという問いも立ちます。

 

しかしなのです。こうした何気ない何かなにかしらへの関わりが、とても嫌がられることがあるのです。ちょっと触れただけなのに、というかだからこそかもしれませんが、いきなり人格をぶっ壊されたような感じがしているのでしょうかすぐさま、セクハラ、パワハラ、立ち去れ、直接的にも間接的にも二度と関わるな、出禁だ、くらいはいわれてもおかしくないことがありますね(九鬼さんくらいになればないかもしれないです)。ケアのプロでもどうしてもいってんそういうところはありえてしまうのではないでしょうか。

 

手前味噌のような話で申し訳ないのですが、逆にだからこの55の部分から成立する構造でやっていきましょうというところがあると私は思うのですね。この構造でやることは、学校教育であれば、「心の教育」、「道徳教育」、「学び」、『学び合い』などと親和性があります。それらの教育は子供が身を含めて学習することを目指しているように私には見えます。たぶん例えば英語教育ならば、今のほとんどの大人は学校時代、長時間英語教育受けていて当時それなりにできていたとしても、大部分の大人が英語ができなくなっていますが-忘れたとか、使っていないということもあるかもしれませんが-、そうした教育で英語の勉強をすると、一生できる英語として身につく気がしますね。そしてここが重要なのですが、それらは確かに、がちがちな矯正教育や洗脳教育と同じ-というか同じ働きはありますが-、しかし明らかに矯正教育や洗脳教育ではないようにもできているところです。

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(追記1)

タイトルの「わからない関係、関係の〈外〉へと関係を開く関係として生きている」とは例えばダブルスタンダードを生きているというよりも「わからない関係=関係の〈外〉へと関係を開く関係」かつ「わからない関係≠関係の〈外〉へと関係を開く関係」として生きているということです。「自分」のなかに裂け目らしきがありつつもひとまとまりに生きているとでもいうのでしょうか。具体的には。ある専門家が「自分」の専門分野においてあるテーマについて「関係の〈外〉へと関係を開く関係」としてその研究を終えている(続けるかどうかは別)とします。その同じ専門家でも専門分野以外のことでは「わからない関係」として生きているとします。その際、その「わからない関係」は、恣意的だよという声を聴いてしまうと、仮にその専門家が自身がどのような(比ゆ的にいえば)「舞台」(ここでいう「コスモロジー的構造」)で研究しているのかを自覚している方ならば、専門分野以外のことでも専門的に取り組めそうです。しかしその方は裂けるようにしては生きてはいない。裂け目らしきに封をするようなことをしてしまうと専門家ー特に優秀な専門家ーは「自分」の分野の研究結果を他分野にもどんどん応用していくようなことになってしまうかもしれないです。

 

(追記2)

55を部分とする数の関係性は①「ある」を起点に②「両義(両重)」的を通して③「可逆性」によって誕生しています。その数の関係性は「コスモロジー的構造」なのでそれしかないといえます。つまりその数の関係性自体にその数の関係性が働きます。よって例えば①55という数を確認する。②55×2=110という計算を行う。③110を11に戻す(ここまで増えてきたので)という様な関係性が考えられます。この55という数自体が10進法の数によっていましたから11の傍らに10があるというような数的構図です。同じ「数」ですが関係ないといえばないあるといえばあります(区別するために見かけをかえてもいいかもしれないです)。こうした構図だと、'55を部分とする数の関係性は①「ある」を起点に②「両義(両重)」的を通して③「可逆性」によって誕生している'としても、必ずしも'①55という数を確認する。②55×2=110という計算を行う。③110を11に戻す(ここまで増えてきたので)という様な関係性で'なくてもいいということです。

 

 (追記3)

一枚目の資料ー真ん中に「リヴァーシブルに」と書いてある資料ーで主なラインは三叉になっている。左上のラインが始まり、次いで下のラインに行き、最後に右上のラインへと翻る。その左上を長野県の小野、「ある」の近辺を辰野、下のラインのを伊那谷、右上のラインを諏訪に相当すると仮設する。すると小野の清少納言の「たのめの里」ーなぜ清少納言ほどの文豪(?)が都からしたらド田舎もいいところについて言及しているのかーと、伊勢神宮の方面と関りがある下伊那の「霜月祭」ー転換的(両義的)な祭りーと、諏訪の出雲の方と関りがある「建御名方神」ー諏訪が建御名方神の居場所ーが、関係して来ると私は思います。お話ができますよ。

小野は関西から関東・東北へと抜ける東山道と松本ー辰野間の道が四つ辻的に交わっています。小野は両小野というように塩尻側と伊那側にわかれて治められている。分水嶺もある。伊那谷は天竜川が谷の真ん中を流れている。暮らすうえで必然的に橋ー両義性のひとつの象徴ーと関りが深いといえる。さて内田樹・釈撤宗『現代霊性論』で内田さんは「橋の上と四つ辻は世界共通で「異界との通路」なんじゃないかな」と述べていますが、その資料をそのように読み重ねると、内田先生の説にまさに合うような地形的関係に辰野あたりはあるといえそうです。

「たのめの里」「霜月祭」「建御名方神」対象は歴史的に前後していますが、こう考えると他ならぬ諏訪がなぜ「建御名方神」の居場所に選ばれたのかということがわかる気がしますね。建御名方神」は出雲系にもかかわらず「南方刀美神」とも書くようですが、こじつけするように考えれば、諏訪にとっての伊那つまり南が諏訪と関りがあるといえそうで、そのように伊那と諏訪は可逆的な関係でありえているともいえる。そうした考えとは別に伊那と諏訪は真逆だといわれていますね(仕事にもっていくおにぎりの大きさや男女の気質など)。南が諏訪と関りがあることについては、九州→黒潮→伊勢あたり→飯田→諏訪という流れで諏訪に住み着いた一族もいるようです。

「たのめの里」「霜月祭」「建御名方神」的な考え方は全世界的にあったのかもしれないですが、ここらでは諏訪に縄文時代位から残されていた。「建御名方神」以前からありえていた。この考え方あるいはこの資料の関係の生き方は、否応なしに生きられなくなって、引っ込んであれこれと身を護るようにして、再度、生きようとするように戦闘的といえば戦闘的な生き方です。しかし自ら戦いを挑んで開戦したわけでもないし、征服して終わるというよりも、妙な共生に終わるという戦い方です。ここでの妙な共生とは諏訪の大祝と神長の関係と似ているともいえます。

諏訪は軍神だと聞いています。第二次世界大戦の頃には物凄くたくさんの人々が日本中からお参りにきていたようです。軍神的諏訪は鎌倉時代に日本中に広がったと聞いています。こう考えてくると確かに諏訪は軍神でしょうね。軍神ですけど「自分から喧嘩うって完膚なきまでに叩きのめす」というような戦いの神とは違いますね(そんな神いればの話ですけど)。