仕事と新自由主義についてのメモ

仕事は仕事している自分を忘れているからその仕事ができるというところがある。仕事をしている最中に仕事をしている自分に気がついてしまったら仕事ができなくなる。気がつかないひとは一生、気がつかないとも聞く。なぜ気がつくことが起きるか。その仕事がその仕事としてありえているがゆえに必然的に封じてしまっている何かに先行的に感づいてしまうようにして起きる。「良心」に目覚めたともいえる。その何かは二種類ある。ひとつはその人がたんに知らない何か。もうひとつはその人以外のみんなが知らない何か。感づいた後、そのまま終えるというのもありといえばありだがーありになりがちだがー、もう一度仕事に戻るのであれば、どちらの何にしても二度、かわることで仕事に戻りうる。そうして戻った先の仕事にはその何(見かけは違う)が到来する。別の仕事が誕生した。

 

①仕事だけでなく、②①の仕事をしている自分も起点とする仕事、③あるいは別の仕事は、会長・社長・役員、平社員・バイト・バイト見習といった両極でとかくなされる傾向があるようです。会長・社長・役員は、平社員・バイト・バイト見習いよりも小さい傾向ですが、その間の社員よりは大きい傾向です。その間の社員は仕事をしている自分にとかく気がつくことはないです(だから例えば「幸せ」ならば幸せをそれなりの時間、享受できるといえるかもしれない)。

 

国家による経済活動への関りが少ない(←「ネオリベラリズム」とする)だと、この動性は弱まります。ネオリベラリズムにくらべ国家による経済活動への関りが多い(←「ニューリベラリズム」とする)だと、この動性はそれなりに働くようです。これは経済活動に会長~バイト見習い以外も関わるかどうかの違いともいえます(関わるほうがニューリベラリズムですね)。

 

ネオリベラリズムとニューリベラリズムの関係にもこうした考えが適用されるでしょうね。①の仕事≒ネオリベラリズム、②、①の仕事をしている自分も起点とする仕事≒ニューリベラリズムというようにです。しかしこう考えると③の別の仕事に対応する主義がないですね(どこかではすでに言われているのでしょうか)。とりあえず仮にここでは(かつて私がそう呼んだ)「新・新自由主義」とでも呼んでおきます。私たちは新・新自由主義の時代に生きているのです。みんな、ゆる~っとやっているのですよ(こんなこと考えているとB‘zの『Lair lair』が身に沁みますね)。