方法について

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〈方法〉の「ほうほう」というものがある。鷲田先生の著『反・方法主義』の‘ホウホウ’は、ここでいう〈〉の方法にあたるだろうか。内田先生ならばここでいう「」の‘方法’をそういわない(表記しない)かもしれない。

〈方法〉は決まりきった仕事をする時は大切でしょうね(製造ラインでいう「5S」のように)。けどそれがすべてではない。すべてだとしたら例えば演劇、スポーツ、音楽、性交などはとても退屈な営みになる(陰核に触れれば女はいくとか。まさにスイッチがはいればすべがわかる(アレント)というハイデガー哲学の応用)。それらを広く「芸能」と呼べば、芸能はとても封建制度なところがある。なぜか。〈方法〉がさほど重視されないと、暴力を招きやすい。それを防ぐためかもしれないです。

〈方法〉は、それに従えば誰でも同じような結果を出せるという意味で、例えば仕事の伝授の場においてのハラスメントを防ぎやすいと私は思っています(従わせるためにハラスメントしようとしていることもある)。

指導者はとかく〈方法〉はやめろ(成長しないから)といいますが、あまり聞かない方がいいかもしれません。聞いて裸で踊りだすと成長のために正しい暴力が振るわれることがありますよ(割礼とか)。DNAレベル的に傷つきます。注意されたことをしようとしても二度とできないようになってしまいます(『オープンダイアローグ』の推進者にはそんな指導者になって欲しくないです)。

〈方法〉の「ほうほう」はこうした内容をあらしめます(無内容だと〈方法〉主義者はいうかもしれないですが)。

例えば車、飛行機、宇宙船などの鎧系の物をつくる際には、一旦、出来上がるとつくるための〈方法〉がありえます(多くは企業秘密ですね)。〈方法〉の「ほうほう」は、一旦、始まりに返り、そこから始めることを、〈方法〉的に裸にならずに行います(しかし〈方法〉ではないです)。伝統的に船のつくりには〈方法〉の「ほうほう」が生きているかもしれないです。芸術的な作品だと藤森さんの未来の霊柩車やイサム・ノグチさんのモエレ沼公園にうかがいえる気が私はします(三角の金属のブツによくみるとざらざらがありえている)。千葉雅也さんは、お店でじっくりと、どんな道具が勉強のためになるか見定めているはずです。車や飛行機や宇宙船もある意味、まだまだ可能性はありますよ。〈方法〉だけだと、デトロイトみたいになっちゃうかもしれませんね。

例えば人目も楽しませる鎧というものもあります。それを着ればいいという訳ではないですが、鎧を脱いで再起不能なまでに傷つくような危険に身をさらす必要もないとイロイロと再起不能な私は思うのです。他方、マムシの如くは人命を奪いますが、マムシ酒というように復活薬にもなるということもありますけどね。